ライトノベルにありがとこー

『好きでワクワク』をコンセプトにしたラノベブログです。

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑭』感想

 どうも、とこーです。これを書いておりますのは、ちょうど俺ガイル最終巻を読み終えまして、ガガガチャンネルの放送開始を待っている余韻の時間です。そんな時間に、言葉がまとまっているわけでもないのにつれづれとこれを書いているのは、俺ガイルが大好きだからだという他にはありません。

 

 

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている

 圧倒的なページ数。正直、ストーリーの筋を追っていけばそれだけで冗長な話になってしまい、俺ガイルを愚弄しかねないのではないかとさえ思います。そこで今回は、あくまで「読んで思ったこと」を書き連ねるのであり、ここに考察は介在しません。言ってみればオナニーですね。

 それでもいいと思った方。ぜひこの先をお読みください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕が俺ガイルに求めていたもの。それはこれまでに大きく変容してきました。

 はじめに求めたのは孤独を肯定する姿勢でした。読み始めた当初、ぼっちになりたいと思った僕はその考えを肯定するために何度も、何度も俺ガイルを読みました。

 次第に、孤独を求めるのは違うんだなぁと思いました。いえ、そういう読み方もあるのではないかとは思います。読書とはあくまで物語と読者による自由なものである、というのが僕の考えです。ですから否定するつもりはないのですが、俺ガイルを読んで孤独の強さを求めようとするのは僕の中では違うような気がしました。

 そして本物を求めました。八幡たちが本物を見つけること。それを求めていました。見つけてもらえた本物を見て、それが本物なのだと知りたかったのです。八幡なら本物を見せてくれる、と。ずっとそう期待していて、信じていました。

 だからどんなシリアスな展開も受け入れて、そして信じ続けました。この先に、八幡が本物を見出してくれるだろう、と。

 

 けれども、14巻を読んでその期待は裏切られました。

 それが本物であると、ついに八幡は証明しませんでした。……もしかしたら証明してくれたと感じた人もいるかもですが、僕は証明してもらえたとは思いませんでした。

 けれどそのことへの失望はありません。

 むしろ、これこそ最上の俺ガイルなんだとさえ感じました。

 

 本物を、もしも八幡が本物と定義してしまえば。むしろその時こそ僕は俺ガイルへの失望を感じていたのではないか、とさえ思うのです。

 本当にそれは本物なのか、と疑心を募らせてしまっていたのです。そして本物を見失っていたような気さえします。

 ですが、長い長い物語の末に。色んな感情があって、どんな言葉で募っても足りなくて。そんな関係でさえも疑い、考え続ける。心の底から信じられるときがくるのか、それともこないのか。常に歪んだその在り方は、答えの提示などではなかったのでしょう。

 だからいつまでも続いて、きっと読み手である僕たちが死ぬ間際に、終焉を迎えるのではないかなぁと思いました。

 少なくとも僕はそうです。他の人がどうであれ、俺ガイルはその時まで終わらない。

 

 

 なんて、ちょっとよさげにまとめてみましたがどうでしょ。なんか気持ちが悪いですね。

 ほんとは普通にキュンキュンするところとかもあったんで書きたいんですが、なんか今回はそういう気分ではないのでいずれ。

 

 それでは。