『千歳くんはラムネ瓶のなか』感想
千歳くんはラムネ瓶のなか を読みましたので感想を書きます。
というか、この作品については無茶苦茶好きで、別のブログで記事を書いたんですけど、いろいろブログがごっちゃになっているのもあるのであえて書き直そうかな、と。
今回も感想だけ書きます。あらすじとか考察を書くと支離滅裂になるので。
その前にAmazonのURLを。
気になった方はぜひとも買ってみてください
さて、それでは始めます。
この本を読んで、自分は不思議な感覚にとらわれました。
それは懐かしさのような、悔しさのような、切なさのような、そういう感じの感情だと思います。ノスタルジー、とでも言うんでしょうか。
ただ、ノスタルジーというよりかはもっと私的な、『自分のために存在している』感を感じたのです。
これは、まぁある意味では傲慢ですし、作品は作者様だけのものです。だから、おそらくは本当にたまたま、偶然なのですが『しっくりきた』作品でした。
主人公のかっこよさ。
これをラブコメでここまで上手に描写した作品はないと思います。
序盤、超絶リア充という設定が僕は少し属性的に感じました。もちろん台詞からリア充なんだとわかりはします。しかし、どうしてリア充になれるのか。それほど魅力があるようには感じず、それなのに態度は上から目線っぽいのでイラつきました。
苦悩している描写からリア充の苦悩を描いていることは分かりましたし、理解できましたが、それが生きた苦悩ではなく、苦悩を描くために作られた人物のものに思えたのです。
けれど、中盤。試し読みが終わったころ、窓をぶち破ったところくらいからそんな思いは消え去りました。
『かっけぇぇ!!!』
と思ったのです。
だって、窓をぶち破るんですよ?
そんなの、令和になった今の時代でありえますか? GT〇(隠せてない)かよってくらいに臭いじゃないですか。
それなのにかっこいい。
ほとばしる青春感は、リアなまぶしい青春や生々しいのにフィクションっぽい青春といった、ラノベの青春とは違う、THE・青春だったのです。
このTHE・青春感は、ラノベで増えつつある『理性的』判断を吹き飛ばします。
兎にも角にも青春する。それがとにかくかっこいい。
ただ、かっこよさはそれだけではありません。
本当に主人公がかっこいいのは至る所でちりばめられている『当然みたいにあほみたいな努力をする』ところでした。
一週間でラノベをむっちゃ読んだり、眼鏡を買いに行くって言って実は似合いそうなものを吟味しておいたり、無茶苦茶さらっと、とんでもない努力をしてきているところがとてもかっこいいんです。
全体を通して思ったのは、この作品はリア充かリア充じゃないかという考えを重視していない作品なんじゃないかということです。
最初に読んだときはリア充の苦悩を非リアがわからず叩いているのはだめだ。そういうことなのかな、と思いました。
でもそうじゃないかな、と。
リア充を無理解にたたく非リアはリア充になったら非リアをたたくでしょうし、その逆も然りだと思います。つまり、リア充か否かということには現実には意味があったとしても、人間の内面的にはなんら変わらないものなのです。
もちろん、売っていく上ではこの作品の個性として『超絶リア充主人公』を推さざるをえないんでしょうけど、自分としては『青春ハードボイルド』とか『青春ヒーロー』みたいにとらえた方が、作品を理解しやすいのかなぁと感じました。
それとは別に文章的な面で言っても、自分の趣向にしっくりはまってきました。
擬音を使っていく系ってなんか、それだけでいい感じがするんですよね。そんでもって、情景描写は『本好きの高校生視点』の情景がうまく描かれていました。
この『本好きの高校生視点』ってかなり大切で、作品によっては一人称視点なのにありえないくらい情景描写が小難しかったり、長かったりして主人公の視点としては違和感があるときもあるので。
その点、この作品ではうまく描かれていました。
今後も続いていくそうなので、きっと躍進していく作品だと思います。
ヒロインはもちろん、主人公や友人についてもまだ深く描写できていないところがあるので(紙幅的にしょうがない)、そこも楽しみですね。
個人的に、健太くんを入れた男子四人で夏の夜に語り合いとか、健太くんに助けてもらうとか、そういう展開だとくそ好きなんですけどね。あと、ほかの男子との友情話とか。
と、それとは別にこれは感想よりもさらにレベルの低い個人的な話なのですが。
この作品の主人公が、以前自分が友達だった人ととても似ていて、自分と別れてからのその人の青春を教えてもらっているような気分になったなぁと思いました。
まぁ、作品を私的に解釈しすぎている気がして若干自己嫌悪ではございますが。
それではこのあたりで失礼します。
もし気になった方は買ってみてくださいね。