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【鏡よ鏡】『千歳くんはラムネ瓶のなか 8』感想【月よ月】

こんにちは、とこーです!

チラムネ8巻発売が数日が経ち、私はようやく二周できました。……っていうと映画を何回見に行ったかで張り合う若者みたいですが、違うんです。一周目はどうしても物語の先が気になるのでさくさく進みすぎちゃって、全体をゆっくり味わえないんです。お腹が空いているときに大好物を差し出されたら我慢できないでしょ? それと同じ。

っていうことで、ここからはしっかり味わって読んだ後の感想になります。初読の感想は別記事にまとめてあるので、ぜひそちらもお読みください。

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当然ネタバレありなのでご注意ください。

また、ここから語るのは考察ではなく、解釈です。「ここがここと繋がってるって考えるとすごくない?」っていうのを書き連ねるだけなので悪しからず。

 

 

1.七瀬悠月と悪役幻想

8巻で何よりすごかったのは、悠月の魔女っぷりにあります。これは6.5巻第1章の最初から仄めかされていたことであり、文化祭で『白雪姫』をやると決まったこと自体が必然だと言えるでしょう。いや、ほんと全体的にめちゃくちゃやばかった……!

「鏡の魔女」の文字通りに夕湖らしく振る舞い、明日姉らしく振る舞い、優空らしく振る舞い……女優気質と言われてきた彼女だからこそできるエミュだと言えるでしょう。更には真似を超え、七瀬悠月ではなくナナとして朔に迫る場面!

これまで爽やかでエモい青春を描いてきたからこそ、この生々しい展開が光ります。この一連の流れが2巻を「鏡映し」にしている……というお話は後で語るとして。まず私は、今回の魔女とキスから七瀬悠月の持つ悪役のイメージを語りたいなーと思います。

言うまでもなく『白雪姫』におけるお妃様(=魔女)は悪役です。6.5巻から悠月はこのお妃様に自分を重ね、逆に夕湖を白雪姫に見立ててきました。

「私たちの白雪姫には舞踏会があるかもよ?」

「だったら小道具でガラスの靴を用意してもらわないとな」

「私には履けないガラスの靴にしてね」

『千歳くんはラムネ瓶のなか 7』p151

7巻ではこのようにも言っており、どこまでも悠月がお妃様の側に立っていることが分かります。おそらくここには、悠月なりの様々な悩みがあったのではないかと思うんです。

2巻で朔と偽物の恋人になり、その中で自分にせいで大切な誰かが傷つくことの苦しさを知りました。朔にとってそうであるように、チーム千歳の面々は悠月にとって特別で「大切な誰か」たちだったのでしょう。にもかかわらず自分の恋のことを考えてしまったことは悠月にとって「最低」で、6巻において話し合えた優空や夕湖と違い、悠月の心の中では「自分は最低の女だ」という気持ちがどこかで澱んでいたのではないでしょうか。

今回の悠月の行動は、もちろん彼女なりに考えて焦って間違えてしまった結果でもありますが、一方でそうした「悪役」の幻想を自分に張り付けてしまっていた結果だとも思うのです。

4巻では、悠月はバスケ部員の側に立つ「仏のナナ」として振る舞っていました。いわば陽に「悪役」を任せたわけですが……結果として陽は一度、ひとりぼっちになってしまいます。相方をあそこまで苦しめてしまったやりきれなさは、悠月の「悪役」幻想に拍車をかけたかもしれません。

悪役と言えば、2巻ではこんなやり取りがありました。

「いつもと違う舞台が見たいなら、私は台詞をとちらなければならない。完璧な役者ではなくなるために、まるで仮面を外すように」

「たとえその下に醜い素顔があったとしても、真っ直ぐ見つめて二回キスでもしてやるさ」

「私がオペラ座の怪人であなたがクリスティーヌなのね。それじゃあ結局、千歳が他の誰かと幸せになるのを見送ることになるじゃない」

 七瀬は心底おかしそうに、腹を抱えてけらけらと大きな声で笑った。

「やーよ、そんな役回り」

『千歳くんはラムネ瓶のなか 2』p27

このやり取りが8巻に繋がってるんじゃないかなーと思ってます。悠月は積み重なる様々な出来事により、自分の素顔が醜い「悪役」だと思い込むようになった。七瀬悠月ではないナナは、オペラ座の怪人だったのではないでしょうか。『オペラ座の怪人』では、怪人は鏡の中から現れ、クリスティーヌをオペラ座の地下室へと連れ去ります。この辺りも、鏡の魔女・ナナがオペラ座の怪人と重なるところだと感じます。

もしも朔がナナに流されてキスをしてしまっていたら、悠月はもうオペラ座の怪人から戻れなくなっていたのかもしれません。

本当の七瀬悠月はオペラ座の怪人ではない。何故なら、その素顔は少しも醜くなんてないのですから。

悠月といえば、彼女の行動を示唆するように山本文緒『ブルーもしくはブルー』が登場していました。この作品はもう一人の自分、つまりはドッペルゲンガーと出会うことがきっかけとなる物語だそうです。未読なので読んでみたいですね(趣味が広がるのがチラムネのいいところ)。ところで、この作品を朔が読もうとしたきっかけを考えると意外と深そう……なので、またそれは後術。ともあれ、「もしもの私」を描く作品を登場させるのは巧みですね。シンプルに小説としてうまい!ってなりました。

それともう一つ。これは5巻特装版に出ていることなので言っていいと思いますが、悠月はHump Backの『拝啓、少年よ』という曲にハマっていました。その情報を知っている人は7巻の最後を読んで、『負けっぱなしくらいじゃいられない』というフレーズが頭によぎった方は多いのではないでしょうか。ぶっちゃけ僕もそこに注目してました。だから失念してたんですよ! その周辺のフレーズを!

あぁ もう泣かないで

君が思う程に弱くはない

あぁ まだ追いかけて

負けっぱなしくらいじゃ終われない

遠回りくらいが丁度いい

Hump Back『拝啓、少年よ』

ここ、『拝啓、少年よ』の中でも最後のフレーズなんですけど。僕にはもうね、ここが朔から悠月への想いのように聞こえちゃうんですよ。そんな哀しいこと言わないで、って。悠月が七瀬悠月で在ろうとする強さを朔を知っていて、まだ月を追いかけていてほしいんだよ、って。

悠月が8巻の後にこの曲を聴いて、たくさん色んなことを考えるんじゃないかなーって妄想します。

曲と言えば、Norah Jonesの『Shoot The Moon』。まぁタイトルからして『月を撃ち落とせ』な悠月にぴったりなのですが、曲の内容もめちゃくちゃ合ってるんですよ。『夏の日は過ぎていき』と、『月を撃とうとしたあなたは的を外す』とか。原曲が英語なので完全ではないんですが、めっちゃ内容に合ってますよね? なんでこんなタイトルも内容も合いまくる曲があるの!?

……と、語りすぎてもしょうがないのでここまで。ひとまずは次に行きましょう。

 

2.紅葉の裏表

さーて、続いて語るのは望紅葉。彼女については8巻p218の箇所を前回の記事でさんざん語っています。夏すら見送ってしまった紅葉。この切なさをただひたすらに語ったわけですが……まずはその点をもう少し深く語ります。

この作品において、朔たちとその他とを分かつのは5巻の夕湖の告白以降の展開だと言えるでしょう。2巻や4巻は全校生徒が知るところですし、3巻は逆に朔と明日姉の話に終始しています。5巻6巻にわたるあの夏の物語は、まさしく「みんな」の物語であり、逆に「みんな」以外は知らない物語でもあります。亜十夢は陽が巻き込んだことで「みんな」の一員となり、なずなも夕湖の口から夏の出来事を伝えられたことで「みんな」になったのです。明日姉も夏祭りに誘われていましたしね。

そんななか、紅葉だけが見送ってしまった。重要なのは「見送ってしまった」点です。色んなもののせいにしてもいいはずなのに、紅葉は一人称で語るんです。だって、紅葉はしょうがないんですよ? 勉強合宿は2・3年の合同行事だから、1年生は参加できないんです。学年が違えども参加できた明日姉でさえ、『勝手に物語は先に進んでいて』と感じたんです。紅葉からすればもっと、もっとその感覚は強いはずなんですよ。

だけど、あくまで紅葉は自分の物語を自分で描くんです。「見送ってしまった」として捉える。もらい涙ってことにしたくないと思う紅葉のことが、とても愛おしかった。

――でも、今回はここで終わらない!

紅葉はそのあと、夕湖に尋ねました。

「手を繋いでしまったら、手離せなくならないですか?」

「手離すんじゃないよ、手向けるの」

『千歳くんはラムネ瓶のなか 8』p221-222

まずこの紅葉の質問にどれだけの気持ちがこもってるのかなぁ……って考えたら、心がぐちゃぐちゃになるんですよ。

彼女は7巻で「仲間はずれにしないでくださいね?」と。これは終盤にて「私だけ仲間はずれにしないでくださいよ」と、悠月への言葉に変わります。悠月たちも朔のやさしさに甘えてるんだから自分だっていいだろう、と。

でも思うんです。きっとそれだけじゃない。だって、もしそういう意味で言っていたなら、朔にまで告げる必要はないはずです。紅葉には手を繋ぎたいって思いが本当はあるんですよ、きっと。

そんな紅葉への夕湖の返し。紅葉推しとしても「夕湖……!」ってなります。正しく先輩をしてくれてるんだ、この子は。だけどね? だけど、それだけじゃ終わらないんです。

「少なくとも私が手向けたいと想える女の子たちは、きっと連れていってくれるよ」

 紅葉は思わずといった様子でか細い声を漏らし、

「そのなかに……」

『千歳くんはラムネ瓶のなか 8』p223-224

紅葉は言えないんです。「そのなかに」の続きを。きっと「私も入れてくれますか」とか、「私もいますか」とか、そういうことを聞きたかったはずです。

「そんなふうに想い合える関係性、憧れます!」

「紅葉もそういうお友達になろうね!」

「えへへー」

『千歳くんはラムネ瓶のなか 8』p224

友達になろう、とはもう頷けない。紅葉は明日姉や優空、陽を傷つけてしまったと自覚していて、そのことを本気で苦しく思っているからこそ、言わなかったのではなく、言えなかったんじゃないかと思うんです。

たった十六歳の女の子が、どれだけの葛藤を背負うんでしょうか。お願いだから、「ひとりでいられることだけが私の数少ないアドバンテージ」なんて言わないでよぉ……って哀しくなりました。強さと哀しさは裏腹で、紅葉が強ければ強いほど、哀しくも思えてくるのです。

さて、裏といえば表。表といえば「どっちも表なんです」とも言っていましたね。この話を聞いて、そういえば紅葉って裏とか表とかあんまり意識しないよな~と思いました。で、調べたら、紅葉にまつわるこんな句があるそうです。

裏を見せ 表を見せて 散るもみじ

この句は良寛の辞世の句とされるものであり、どうやら谷木因の「裏ちりつ表を散つ紅葉哉」という句を病床にあった良寛が口あたりのよい句にしたものだそうです。勉強になりましたね。

この句は要するに人には裏も表もあるよねって意味のようです。表裏を意識させるという点で、紅葉は月と重なる部分があるように思えます。紅葉にとって後輩としての彼女も恋する女としての彼女も「表」なら、きっとその他に「裏」があるはずです。紅葉と月を重ね合わせて考えるのなら、表は望月、裏は朔月として考えることができるかもしれません。紅葉の「裏」とは、決して腹黒さとか汚さとかではなく……きっと、「月の見えない夜」なんじゃないかなーと。たとえばそれは、ひとりぼっちの寂しさとか。

ねぇ、紅葉の「月の見えない夜」を照らしてくれるのは誰なんですかっ?

ところで、紅葉と言えば文化祭当日にまつわる約束を朔としていました。あの念入りな描写からして、何かあると言っていいでしょうね。みんなにお揃いで来てほしいとも言っていたので……きっと、何かしらの決着をつけようとしているんだと思います。部隊発表で昔のテレビ番組にあったってことは、公開告白をするつもりなのかなー?と思ったり思わなかったり。実際、紅葉ってこの学祭編が終わると本当にチャンスがなくなるんですよね。修学旅行は一緒にいけないですし、朔たちの輪にいられる理由もなくなるわけで。だからこそ、学祭準備を走り抜けてぶつかって、それでだめなら皆に嫌われて終わりにしようとしてるのかなーって。

そう思っちゃうのは、紅葉が「……できればもう、嫌いになってくださいね」って言ってたからなんですけど。だって本来、悠月たちに嫌われる必要はないじゃないですか。7巻の最後だって明日姉や優空、陽に嫌われるためにやったわけじゃないはずです。

それでも嫌われようとしたのは、終わりを見据えているから――のような気がしちゃうんですよね。10月が終われば11月。裏を見せて、表を見せて、紅葉が散るにはいい季節でしょうから。

そう思うと、本当にもう苦しくてたまらない。だけど、その苦しさを抱えて戦う彼女の気高さに恋い焦がれてしまうのでした。

……ところで、あんまり深くは掘らないんですけど、当然のようにガガガ文庫15周年記念フェアinメロンブックスのSSの内容が出てきましたね。未読の方で分からない方は、たぶん読んでいて「あれ、こんな会話してたっけ?」って思った箇所がそれです。あのSSを前提に語ると、7巻で悠月と対峙した紅葉の勇気を支えたのは陽の言葉でもある――という話に持っていけるのですが、まぁ流石に読んでいる人が少なそうなのでやめておきます。

 

3.夕湖と他のヒロインの差

ここからは、7巻の頃から考えていた夕湖と他の子たちって何が違うんだろうねって話をしていきます。繰り返しますが、考察じゃなくて感想です。読んでて「あー、きっとこれがこの子たちにとって大事なんだろうな!」って思ったことを書き連ねてるだけ。

夕湖と他の子たちに明らかな違いがあるのは読んでわかるでしょう。居場所や関係に縋ってしまうし、だから紅葉の揺さぶりに傷ついてしまう。7巻において、夕湖と朔が話していた公園は紅葉に上書きされていました。これは明日姉や優空、陽がされたことと本質的には同義ですし、描写の意図としても同じだと思います。あの場に夕湖はいなかったので実は傷ついてるって可能性もないわけじゃないですが、5巻で海人と話すときにはそこを使うことを躊躇った夕湖の描写もされていますし、「この行動で今の夕湖は傷つかない」とニュアンスを含んだシーンだと思ってます。

実際、他にもいろいろとありましたよね。紅葉と朔がダンスを踊っているのを見たときの反応とか、いろいろと。

この差ってなんなんだろう? 失恋したこと? 新しい私になったこと?

この自問に対し、僕は僕なりの答えを出していました。それは「心のなかにいる」と朔に言われたこと。これがすごく大きいのかなーって。

「――俺の心のなかには、夕湖がいる」

(中略)

「わからなかったんだよ、自分のどこを好きになってくれたのか。

(中略)

 ……だけど、それとは裏腹に。

 夕湖が近くで俺を見ていてくれるから。

 期待してくれるから、朔ならできるって言ってくれるから。

 意地張って、格好つけて、失望されないような俺でいよう。

 なんて思えていたのも確かなんだ。

 そんなふうに、いっつも夕湖は俺に知らない景色を見せてくれて」

(中略)

「いつのまにか、夕湖の存在はとても大きくなっていた」

『千歳くんはラムネ瓶のなか 6』p527-529

6巻にはこんな描写があります。はっきり言って、これが朔⇒夕湖への告白でもいいですよね。それでめでたしめでたしって終わる作品だってあります。

朔にとって、夕湖がどれだけ特別なのか。彼の思いを知ることができたから、夕湖は自信をもてるのです。柊夕湖に、朔と自分との関係に。

だけど他の子はそうじゃない。

「……それでも俺の心のなかには、他の女の子が、っ、いる」

『千歳くんはラムネ瓶のなか 6』p530

これが朔の口から語られたことでした。もちろん、悠月がそうだったように「他の女の子」が誰かは誰しも見当がつきます。優空も明日姉も陽も、自分たち五人のことだろう、って。

だけど「他の女の子」は「自分」じゃないのです。その中に含まれることは分かっていても、そこに自信を持つには至らない。あの場にいた優空でさえ、夕湖のように朔の想いを聞いてはいないのです。

そこが夕湖と他の子たちの差なんじゃないかな、と思っていました。

……で、8巻。

「――あの日から俺の心のなかにいるのは、七瀬悠月なのに」

『千歳くんはラムネ瓶のなか 8』p452

ついに朔は、悠月に自分の想いを告げました。それは、6巻を経る前の朔にはできなかったであろう行動でもあります。まだ選べるかも分からないのに、悠月のこんな部分に惚れた、って言っちゃうんですからね。

だけど、きっとそうして口にすることが大切なんです。自分の気持ちと誰かの気持ちに向き合うとは、こういうことなんだと思います。

今回の話を経て悠月エンドがない可能性が高くなった……って仰ってる方もいて、もちろんそういう考え方も一切否定しないのですが、個人的にはようやく悠月は夕湖と同じステップに辿り着けたのかなーって思ってます。

もっと言うと、これから他の女の子たちもこんな風に朔の想いを聞いていくことになるのかなーって予想していたりもしますが、まぁそういう考察はする気がないのでやめておきます。

 

4.死と生の連想

ここからは、割と取り留めのない感想(今までもそうだろってツッコミはノーセンキュー)です。8巻を読んでいて感じたのは「死」を連想させるワードが多いなぁってことでした。

 美しく生きられないのなら、死んでいるのとたいした違いはない。

 私が狂おしいほどに愛してやまなかった七瀬悠月という女は、

 ――この夜に死んだ。

『千歳くんはラムネ瓶のなか 8』p419

なんかが代表的ですが、他にもそもそも「毒りんご」自体は死を連想しますし、役割を終えた歩道橋も少し繋がります。また、今回は「殉ずる」という言葉も多用されていました。もちろん「殉ずる」=死ぬというわけではなく、慣用的な言葉でもありますが……ワードとして「殉ずる」は8巻のテーマだったようにも思えます。

秋という季節と死は繋がりやすかったりします。少し話を飛躍させると、『源氏物語』では秋が死の季節として多く選ばれていたりもします。まぁそうでなくとも、秋の枯れ葉や落ち葉には死の印象がありますよね。

一方で、豊穣の秋という言葉もあるように、秋は命に満ち溢れた季節でもあるように思います。8巻では「生き様」という言葉も何度か出てきました。死とは対極的に、どう生きるのかを考えることになったわけです。

夏を経て、様々なことが変わった7巻。死と生の表現は、こうした朔たちの変化を示唆しているのかなーとも感じました。示唆も何も変わったことは言われるまでもなく分かりますが……文学チックな表現、ってやつですかね。

もっとふかーく妄想を言えば、朔自身の死と生にも繋がるのかなって思ったり。

少なくとも、みんなのヒーローとしての千歳朔は死んだのでしょう。もちろんまた誰かが困っていたら助けるとは思いますが……仮にそうだとしても、これまでとは決定的に何かが違う。

そうして変わった千歳朔はなんでもこなせるわけじゃなくて、いつだってかっこよく決める4巻までのようなヒーローではないのかもしれません。そういう意味ではヒーローは死んだ、と言ってしまってもいいのかも。だけど、それでも千歳朔は千歳朔として生きていく。

その結果が8巻のラストであって、「もっと早くに拒まなかった」のは、ヒーローではなく千歳朔として、悠月を救ったのではなく彼女の心を掬ったからなんじゃないかなーって思ったり。だけど、そういう人を「私たちはヒーローって呼ぶ」んだよなぁ……とか思いました。

あと、朔の話を追加でしておくと、個人的には複数のヒロインに愛されておいてすぐに答えを出せちゃう方が不誠実だなーって思うんですよね。というか、残酷だなって。

なので「一度名前をつけたら、二度と上書きしないために」って言葉を聞けたのはものすっっごく嬉しかったです。一対一ラブコメが一般的になった今からすると不誠実に見えるのかもしれないですけどね。

 

5.鏡映しの物語

これは他の方の感想でも見たことですが、8巻はとことん「鏡映し」の物語でした。悠月が他の女の子をエミュするという「鏡の魔女」の一面はもちろんありますが、それはあくまで一部分です。

8巻にはいたるところにこれまでのセルフオマージュがありました。紅葉と悠月のデートのシーンは言うまでもなく2巻の冒頭ですし、陽と美咲先生との秋吉のシーンは3巻の朔&蔵センのシーンですね。悠月が迫るシーンは、2巻で朔が悠月に馬乗りになったシーンを「鏡映し」にしていると言えるでしょう。セルフオマージュの描写はこれまでにもありましたし、とっくに7巻冒頭は1巻を意識したうえで変化を加えています。

ただ7巻のときは相手が同じでした。優空との登校は変わらず優空との登校でしたし、河川敷で話しかけた相手は明日姉です。これまでも、セルフオマージュは大抵キャッチボールか反復の形で用いられることが多い印象があります。一番わかりやすいのは朔と優空の「そういう感情にひとりで浸ってほしくはない」ですね。一年生の頃に朔から優空に投げかけられ、続いて『昼休みの屋上コッペパン』で優空から朔へ返され、更に『いつものカフェラテ、いつものティーラテ』で朔から優空に投げられて、最後に6巻で優空からもう一度返されるわけです。

いわばこうした台詞の反復やキャッチボールはキャラ間での内輪ノリであり、二人の間でだけ通じる特殊言語と言い換えてもいいように思います。

ですが、8巻で「鏡映し」にされた展開はそうではありませんでした。悠月の相手は紅葉に変わり、秋吉には朔も蔵センも行っていません。

こういう意味で、今回はこれまでと違う「鏡映し」のセルフオマージュだったんだろうなーって感じました。

で、更に思ったのは鏡の乱反射が起こるみたいに、それぞれの台詞や立場がシャッフルされてもいたよなーってこと。

まぁその最たる例が、悠月視点で綴られる領域が多かった8巻の構造自体だったりもするのですが。

その他にもなずなや朔が夕湖のお決まりの台詞をあえて使ったり、応援団の練習で健太が教える側に回っていたりするところに繋がるのかな?と思ったりもするのです。先述の「鏡映し」の展開も、この乱反射の一環って感じもしたりしなかったり。そういえば割れたビー玉って乱反射を起こすって言いますよね。その辺りも意識……はされてない気がしますけど、なんか勝手に繋げて考えるといいですよね。

そんな「鏡映し」な8巻ですが、8-9巻が上下巻構成であることは語られています。だとすれば、8巻だけでなく9巻も「鏡映し」なのでは?と愚考したくなります。特に8巻は2巻だけでなく3巻の「鏡映し」も多かったですから、8-9巻で2-3巻を「鏡映し」にしようとしている、と考えることもできそうです。

構成的な話をすると、7巻で藤志高祭の準備が始まっていますし、上下巻っていうより上中下巻構成って感じがしませんでした?

7巻の最後では「プロローグ」が来たわけですし、なおさら7巻から9巻までで一続きの話なのでは?というような気がしてきます。

そこで思ったんですけど、今回の上下巻って5巻6巻のような実質上下巻と違う、文字どおりの上下巻らしいじゃないですか。ということは逆に、7巻と8-9巻で実質上下巻なのでは……?

何が言いたいかっていうと……9巻のエピローグは7巻と8巻、それぞれのプロローグへのアンサーが来そうじゃないです!?

「ヒーロー参上」と「千歳朔」へのアンサーって……やばくないです!?

と、妄想してみたりもしつつ、次にいきます。

 

6.「もしも」と朔望

また紅葉の話かよ、って? ええそうですとも。7巻と8巻を読んで、この子のことがすっごく好きになっちゃったんだからしょうがないですよねっ!

ここでは「もしも」という視点から考えていきます。

 もっと違う形で出逢っていたら、とかフィクションめいた台詞が口を衝きそうになって、やっぱり夜の感情だと自嘲する。

(中略)

 こういうもしもの相手がたまたま好きな人で、そうはならなかったのひと言であっさり身を引くことができなかったんだ。

『千歳くんはラムネ瓶のなか 8』P236-238

この辺りの描写を見て、個人的に紅葉の気持ちがなんとなくストンと飲み込めたような気がしました。もちろん悠月の視点で語られているものなので正しいとは限らないのですが……なんとなくイメージとして持っていたものが言語化された感じがありました。

そうだよなぁ、そういうことなんだよなぁ……って。

そんなことを考えながら思い出したのは4巻の朔でした。

 もしかしたら、と思う。

 俺がちゃんと亜十夢の顔や名前を覚えていて、去年の四月にふん縛ってでも野球部に入れていたら……。

『千歳くんはラムネ瓶のなか 4』p287

このときの朔は野球部の「もしも」を考えます。亜十夢と野球部をやっている「もしも」。だけどそんな未来は来なかったし、『たどり着いたいまを、俺はこんなにも大切に想っている』のでした。

なんだか、こういうところにも朔と紅葉の対比が示されているような気がします。

だから何かといえば、それまでなんですが……。

紅葉も大切に想えるいまにたどり着いてほしいな、って思いました(小並感)。

 

7.まとめ~こまごまとした感想を添えて~

割と長々と話してきましたが、そのほかにも言いたいことはあります。

まずは明日姉と優空ですね。この二人の組み合わせ、無限の可能性がありすぎてやばいっす。やり取りの尊さもさることながら、明日姉の「たっち」が可愛すぎる。

可愛いと言えば、夕湖ね。朔が着替えるときにちょっと恥ずかしそうにするの、めっちゃ映像が思い浮かんで「かわい~~~~~!」ってなりました。

あと、一応かる~く9巻の予想もしておきます。まぁ表紙は誰かしらの海賊服な気がしてるんですよねー。流石に夕湖がきても彼女の話を展開するターンではなさそうですし、紅葉か明日姉、もしくは陽の三人かなーと。紅葉との話に何かしらの決着がつくって意味でも、明日姉か陽は話のキーになりそうなんですよね。先輩後輩として抱えるものとして明日姉、体育会系として陽。どちらもSSとか本編で学祭に繋がる話がありましたしね。11月あたりは修学旅行編な気もしますし、そうなったときにあえて明日姉の話にするのか、それともその前に……?とか妄想がいろいろと。

朔が何かしらの決断をすることも求められちゃいそうだなーってのは思います。考えて保留することは誠実だと思いますけど、その一方で何も答えを出さないだけでは何かを得たような感じになりませんしね。けど、白雪姫と暗雲姫のどっちかを選ぶ展開になるか……?って思いもあったり。紅葉を振るって形で「答えを出したことにする」みたいなのもありえそうではあるんですけど、そこまで当て馬みたいな感じで扱わないと思うんですよねぇ。

やだ、軽くって言ったのに全然軽くない……。ってことで、もうやめときます。感想だからだらだら書いていいやって思ったら長くなりすぎました。しかもほとんど感嘆符的なワードだから取り除けるはずっていうね。いや。それを取り除くと生ものの感想じゃなくなるので取り除きませんけども。

ま、そんな感じでした。

最後まで読んでくださってありがとこーございました!

youtu.be

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