ライトノベルにありがとこー

『好きでワクワク』をコンセプトにしたラノベブログです。

俺ガイルという素敵な物語のお話

こんにちは、とこーです。皆様はいかがお過ごしでしょうか。

僕、とこーは普段ブログやTwitterライトノベルの感想を書いているのですが、今回は「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」の最終巻が刊行されるということもあって、ちょっとだけ自分語りをさせて頂こうかなぁと思います。

そういうの興味無いって方はごめんなさい。

あと、ちょこちょこツイートしてることがあると思うのであんまり面白いお話ではないと思います。

それでもお読みいただける方がいるといいなぁ、と思います。

それではいきます。

 

 

 

 

 

 

これは俺ガイルと出会う前と出会った後の僕についてのお話です。

時は僕が小学生のときに遡ります。僕は自分で言うのもあれですが、言ってみれば「いじめられっ子」な気がありました。小学校入学以前から、誰かと遊ぶより砂場近くで小石を拾ってる方が楽しいと思う子でしたし、幼稚園に行かなければならないことを毎日のように嘆くくらいには人見知りでしたし、シャイでした。

小学校入学後はあからさまにいじめられてました。ただ今になって考えるとあれはいじめなんかじゃなく、むしろ友達としてありがちなことだったんだなぁと。

まあそれはともかく。

そんなことをしながら、小学校高学年になるまで、ちょこちょこいじめられながらもヘラヘラ笑ってそこそこには人と仲良くできるし、ちょっと嫌われがちな人にも優しくして、空気を読み続ける。心をすり減らしながらも、日々を演じ続けることを少しずつ受け入れていきました。

空気を読めない訳じゃないですし、読みたくない悪い空気は読まないようにもしてました。それでも、やっぱり空気に飲み込まれ続ける日々でした。

が、そんな日々が限界だと思う時がありました。

それまでのいじめよりずっと酷いいじめが始まったのは、周囲が中学受験でぴりぴりし始めた頃です(これをお読みの方の周りがどうだったかは分かりませんが、僕の周りは半分以上が中学受験組でした)。

そんな頃、いじめられっ子でありながらもなんとか、生き抜くためにピエロみたいになっていた馬鹿な僕はいいターゲットでした。「馬鹿だ」と笑うことは勉強のストレスを発散してくれるものです。すぐに笑い者になっていくと、今度はそれが僕の生活全体に永享を及ぼしました。特にない悔しかったのは当時ハマっていたSAOをバカにされた時です。ちょっと、えっちなイラストをみた同級生に本を取り上げられて、黒板につるし上げられたのは本当に悔しかった。

更にそれ以上に悔しかったのはそんなところを見たり、普段の無邪気な僕を見たりした女の子から告白? みたいのをされて、それで少し嬉しくなったことです。言い表すのは難しいのですが、なんだかあれは本当に悔しかった。自分が庇護される側の人間みたいで、弱者みたいに扱われたことが許せなかった。卒業式の練習中に足かっくんされまくって立ってる間ずっと足が震えたり、下半身下着だけでドア諸共廊下に飛ばされたりしたこともありましたが、それよりはるかに悔しかったです。

 

さて、話を戻しましょうか。

そんな頃です。悔しくて、死にたくなって、死ぬのが嫌で現実逃避したかった僕はとにかくアニメを漁って、見ていました。うまるちゃんとか、ごちうさとか、まあ色んなものを見て、それからふと「やはり俺の青春はまちがっている。」っていうのがあったなぁと思い出しました。

なんか青春ラブコメはなぁ。。と思いながらも軽い気持ちで第1話を見てみました。

 

 

なんだかその時、何もかも壊れたような気分になりました。

 

 

人生が変わる時、というのがもしあるのならきっとあの時なのだと思います。

「青春は嘘であり、悪である。」

たった一言。しかも感動的な場面でもない。

なのに涙が出ました。もうその一言が救済に思えたんです。これまで囚われていたものが「悪だ」って、見方があるんだって。僕を苦しめてきた漠然としたものを否定してくれてるような気がしました。

のめりこみました。

そしてぼっちという生き方を知りました。

小学生にとってみれば、ぼっちという生き方はいじめられっ子と同じだと思ってたんです。でも、そうじゃないんだと知って、憧れました。

それだけじゃないです。

自分が傷ついても欲しいものに手を伸ばす。欺瞞を欺瞞と言いきる。そんな姿がもう、言いようもない感動に満たされていたんです。

だからいつしか本物を欲しいと思うようになりました。

そうして、ぼっちになった僕は本物をを探すために中学校に進学しました(受験では無いです。一応書いときます)

 

 

中学校になって1年目は、ぼっちから始まって少しずつ強さを蓄えた日々でした。移動教室のお小遣いとしてもらったお金を全部つぎ込んで俺ガイル全巻買った時の感動は今でも覚えています。

そうやって読み続けていくと、話が合う友達が出来ました。しかも話を合わせる必要はなく、好きなことを言っても打ち返してくるしこっちも打ち返せる人達です。本当はその人たちと、今も友達でいたいんですけどそうもいきませんでしたが。。。

二年生になって人と関わることが増えました。ぼっちにこだわるだけじゃなくてやりたいことには積極的になる。本物を見つけるために、ちょっと不安になることでも頑張りました。そうして、いつしか大事な彼女と出会えました。人生で最も活気のある日々でもあったかもしれません。

俺ガイル12巻が出たのはその年の秋。

何事にも手を出し、力になろうとしてきていたときに聞いた共依存という言葉は、どきりとしました。それまで持っていたものが否定されて、考え直さなければならないんだなぁと感じました。

そして三年生。卒業の年、現実にくじけて本物なんてないのかもしれないと思うようになった時期でした。色んなものを失って、頑張るのも面倒になって早く日々を進めたいと思いました。不思議なことに本物を諦めると、その方が色んな人と仲良くなれて、強さとか本物なんて要らないなぁって感じていました。

でも卒業ギリギリで13巻が出ました。

すぐ読んで、それで思い出しました。八幡なら本物を見つけてくれるんだろう、と。仮に幸せと遠くとも、本物を手にしようとする八幡を信じようと思いました。

 

そうして、今に至ります。

俺ガイルに救われた命は、今はまだ誰のためにも使えていません。きっとたくさんの人を傷つけて、苦しめてきているんだろうなと感じます。

でも俺ガイルに救われたおかげでたくさんの人と出会えました。たくさんの物語と出会えました。身近な人の尊敬したいところや尊敬したくないところを見つけられるようになったのも俺ガイルのおかげです。出会えた物語のおかげでさらに俺ガイルは深まりました。

今色々と言ってるチラムネにさえ出会えていないことは確実です。

 

俺ガイルは一部の人にはあまりよく思われていないことを知っています。彼らの物語はたしかに少し迂遠ですし、痛々しいところもあるかもしれません。

けれどそんな迂遠さがあって、何度も問い直してくれたからこそ今ここにいることができます。

痛々しさを恥じ、忌み、けれども抱きしめてしまうような物語だったからこそ僕の手首に傷跡は無いですし、首に後もありません。

俺ガイルに全てを賭けるつもりはないですし、俺ガイルが完全に正しい物語だとも思いません。けれども。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」は素敵な物語なんだ、とは言いたいなと思います。

 

長くなりまして、失礼いたしました。

俺ガイル14巻は怖いですが、それでもこうやって出会いから今までを書くことで少し心の準備が出来ました。

 

 

 

どうか本物が幸せな、かけがえのないものでありますように。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 (14) (ガガガ文庫)

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 (14) (ガガガ文庫)