ライトノベルにありがとこー

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『千歳くんはラムネ瓶のなか 2』感想――ちょっとだけ飲み下せたVer

 こんにちは、とこーです。

 以前、発売してすぐにも書いたチラムネ二巻の感想を改めて書いていきたいと思います。

 

 URL

https://www.amazon.co.jp/千歳くんはラムネ瓶のなか-2-ガガガ文庫-裕夢/dp/4094518169/ref=sr_1_2?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E5%8D%83%E6%AD%B3%E3%81%8F%E3%82%93%E3%81%AF&qid=1572170848&s=books&sr=1-2

 

 

はい、でははじめます。

今回のはいわゆる学校で書く感想文みたいな感じですので、レビューとかそういうのを期待している方には、とりあえず神作なので購入を! と記しておきますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 正直、想定を超えるレベルで面白かったチラムネですが、自分が読解力がないということもあって、少し内容を咀嚼するのに時間がかかってしまいました。

 なんとなく『すごい』し『感動する』作品なんですけど、どうして感動したのかなぁ、とかそういうことを考えてたらもう発売からそこそこ経ってしまいました。

 

 さて今回書くのはあくまでチラムネ二巻を咀嚼して自分なりに理解したことについてですので、ここからは別作品の名前を出しながら書いていきたいと思います。書きたいポイントは大きく分けて三つです。

①偽物と本物について

②なりたい自分について

③千歳くんについて

 

 

ではいきます。

①偽物と本物について

 最初と最後の対比的な表現によって示された『偽物の恋』と『本物の恋』。前者は千歳くんによるモノローグ、後者は七瀬さんによるプロローグです。

 後者については分かりやすいでしょう。はじめは偽物として始まり、それでも千歳くんへの思いに名前をつけてこなかった七瀬さん。けれども、理屈なしに跳んでいけてしまうような人に負けないために名前をつける。なんだか、とてもきゅんきゅんします。

 一方、前者についてはなかなか理解が難しかったです。あくまで二巻における千歳くんと七瀬さんの関係のことを指して偽物としている、というのは分かります。けれどもその上でそこから先のことがなかなかわかりませんでした。二巻における千歳くんは、結構要所要所で感情に名前をつけることを否定します。まだ早い、まだ早い、と。あとから二人で恋と名付けるくらいがちょうどいい、とのことです。

 ですが、あとで二人で名づけるのであれば、その時の二人の関係はなんなのでしょう。いつからなら早くないのでしょうか。

 そこがなかなか難しいところで、ずっと『千歳くん、もしかして難聴主人公と同じ感じのヘタレ?』と思いました。

 たぶん違うなぁと思うのでこれについではいずれ。

 ただここの時点でまとめておくと、ここでいう偽物の恋は彼の中の戒めであり、同時に智也くんのことなのかなぁと感じました。

 

 

②なりたい自分について

 七瀬さんは高みを目指していました。それは千歳くんも同じで、同時に七瀬さんも千歳くんも他者から幻想を押し付けられている部分もあります。そして、そんな幻想に対してよくないと思っている部分もあるような気がします。

 仮面をもって、『七瀬悠月』でいようとする七瀬さんのことを千歳くんは気高いと思うのに、その割にそんな『七瀬悠月』に恋をする智也くんには幻想をつけずしっかり見るように言う。そんな姿はちょっとバカの僕には????となりました。

 で、それで気づいたのはなりたい自分でいようとすることと仮面をつけることは違うんだなぁ、ということです。

 終盤、はっきりと智也くんに七瀬さんは幻想を壊すようなことを口にします。またその前、なずなちゃんに謝ったときの七瀬さんもそれまでとは少し違いました。これってつまりなりたい自分になるっていうのは自分の物語を描くことなんだろうな、と感じました。別に『七瀬悠月』としていることが大切なのではなく、周囲の妬みや中学時代のことのせいにして物語を描かず、自分の意思で物語を描いていく。それこそがなりたい自分になるってことなのかもです……おい、これ辞書調べれば普通に出てきそうだぞ。まあそれはいいか。

 で、一方で幻想を押し付けるというのはこれもまた物語を描くことを放棄する行為です。それは言ってみれば偽物で、本当はそうではなくしっかりと勝手にできた幻想に頼らない、自分で関わって知っていくようなことだけで作り上げていく物語であったほうがいいのかなぁ……というぼんやりしたことしかまだわかっておりません。

 

 

③千歳朔について

 これが一番僕の中で難解であり、同時に肝心でした。僕はラブコメも好きですが、それ以上に主人公を愛すタイプなんです。主人公がどんな風に考えるんか。そういうことを知りたいがために読書しているとさえいえるかもしれません。

 それゆえにややこしいなと思いました。

 なんだ、千歳くん。八幡とは別ベクトルで面倒くさっ! 真っすぐなの? ねじくれてるの? もう、なんかよくわからないんですけど!

 と、文句はいいや。普通にかっこよかったですし、なんだか色々と感じましたからね。

 で、今書いたように千歳くんって結構『真っすぐだしねじくれてる』と思うんですよね。それはもう無邪気で、びっくりするほどやんちゃな一面とか恋する男子みたいなところもある。かと思えば恐ろしいほど理性的で、引くほど冷静で自制的なところもある。そういうのを見て面倒くささも覚えたわけなのですが、そういう面倒くささが僕には千歳くんらしさっぽく感じました。

 そんなことを思ったとき、以前、リアルの友人にチラムネの一巻を貸したとき、『千歳くん自身が空気っぽい』っていうことを言われたのを思い出しました。

 その時は面白い意見だなぁと思いながらもしっくりきてなかったのですが、二巻を読んでいてそのことがなんとなくしっくりきた気がします。

 それはマイナスな話ではありません。というかある意味では当然なのですが、千歳くん=作品の空気、な気がしたんです。語り部が千歳くんである以上、当然なんですけどね。どんなシーンでも千歳くんによって悲しいシーンではなく楽しい青春として、恋物語のようになってしまう。かと思えばなんでもない幸せなひと時が彼の思い一つで切なさを残す。言ってみれば解釈の余地を残す、ってやつなのかもしれません。

 そしてそんなところが、一巻でも感じた『男子高校生』感を余計に強く感じました。なりたい自分を目指して頑張って、意地だって張って見せて、それでもどこか自分が足りないと思ってしまう。そんな、『青春してる男子高校生』感があふれていて、そんなところに幸せを覚えました。

 これは一巻の時にも書きましたが、本当に千歳くんに似ていて似ていない友人が昔いたんです。だからこそ、そんな彼の一ページを読めるような気分になれてうれしいんです。……これ、チラムネ好きの皆さんにマジで申し訳ないな。

 

 

 さてそれはともかく。

 二巻を読んでいると明日風先輩の一面も見えてきました。

 こうなってきて思えるのは千歳くんの『月』がどんなものなのか、ということです。

 これについてはまだ分からない部分もありますし、具体的な人がいるかもわかりません。わからないことを考察するのはちょっと推理みたいで嫌いなのでやめておきます。

 

 

 ということで今回はここで終了です。